めぐりめぐって春がくる

充分約束の時間に間に合うように余裕を持って千莉と零隆は家を出た 初めて出る街に千莉は驚く 「荀ってずっと西のあまり栄えていない国だと思ってましたけれどすごい人ですね」 「荀が征服した国の豪族は強制的にここに移されるんだ  豪族が多く住めば必然的に商人も集まる  そうなれば街は栄えるだろうな  それに・・・ここは帝国の都になるかもしれない  そういう街だ。驚く事ではないだろう」 「・・・・帝国の、都」 世界は確かに動いている。この巨大な国は 大陸で対立しあっていた国を次々に飲み込んで肥大化していく 媛の照葉は己の国を守る為に銀月を荀に刺客として送った そして銀月は死んだ だが、それが歴史にどう関係するのだろう まるで竜巻のように、もうどうする事もできない速さで 歴史に荀はその名を刻もうとしている 銀月の死は、その歴史の隅にでも書かれる事はない ずくん、と心臓が重く鳴った (私が死んだら・・・銀月を覚えてくれる人はいなくなるの?) あの優しさを、やった行いを、彼の生きてきた軌跡を 人間は誰でもそういう物だとわかっているのに 何故か銀月がそうなるのは許せなかった 「・・・商人にとったら、早く統一してもらった方が嬉しい  いずれどの国もそうなる運命だ  もう荀の勢いは誰にも止められない」 「・・・・・」 零隆は淡々とそう言った 千莉は無意識に拳を握り締めていた事に気が付く 足を止め息をひとつ吐いた ―――現実だ。現実なのだこれは    銀月のいなくなった、“現実”   (私が生きているのはその現実だ)   しっかりしなきゃ、と唇をかみ締め顔を上げようとした瞬間 目の前に出された赤い物に気が付いた 椿をモチーフにした小さな可愛らしい飾りだ。近くの露店の物らしい その先には変わらぬ無表情の端正な顔がある 「零隆さま・・?」 「だが、その勢いに逆らおうとするのは愚かじゃない」 「・・・・・っ」 「死ぬのが運命だったとしても、大きな力の前に平伏さず  仕事をやろうとしたのは立派だと・・・私は思う  ・・・絶対に困難な状況であると誰もがわかっていた  それでも恐れずやるのは・・・馬鹿ではない  それは必ず後世に残っていく。・・・それに、あなたもいるだろう  時は確かに過ぎていく。立ち止まっている暇はない  だからあなたにはやらなくてはいけない事があるだろう?」 「・・・・・・れいりゅう、さま」 「落ち込むなとは言わない。それにあなたはちゃんと  ここにやって来た。銀月さんのいない現在で前に進もうとした  だったら次は、早く適当な別の男見つけて子供を産んで  その子に銀月さんの話を継いでいくぐらいの気でいればいいんだ」 なんだか滅茶苦茶な事を言われてるが、 零隆が気を使ってなんとか励まそうとしているのがわかって 千莉は数秒瞠目し、そして差し出された飾りを受け取る 俯いたままそっと笑った 「・・・でも私、銀月のせいで理想ばかり高いんですよね  だから他の人とか無理です」 「・・・・」 「けれど・・・零隆様か煉笙様にもし御子様が出来たら  その子の世話係を希望して、寝物語に私と銀月の  壮大な恋愛話を聞かせてその一族に代々伝わる物語にします」 「はは。それはまた随分人任せだな」 「ええ。ですから、よろしくお願いします  どうか早く結婚してください」 「泣かれながら結婚を急かされるのは初めてだ」 零隆が苦笑したのを見て、千莉は慌てて涙を拭って笑顔を作った いつの間にか泣いていたらしい そして零隆の勧めてくれた飾りを髪につける 「どうですか?」 「いいんじゃないか」 「・・・淡白ですね」 「あまりよくわからないからな」 「商人がそれで良いんですか?」 「じゃぁそれが一番よく似合いますよお客様」 「もういいです。これにします」 千莉は唇をとがらせ、さっさと財布の紐を解いた 買い物を終わらせ零隆の後につく 買った飾りを頭につけ少し手で位置を確認するとふと過去が思い出される (そういえば銀月にどうして何も欲しがらないって  怒られた事あったな・・・) 銀月はどうやら自分に普通の女の子のように服やら飾りを ねだって欲しいという夢(?)を持っていたらしく 自分をさり気なくそういう店が立ち並ぶ所に連れて行ったりしていた だが期待を背くことに自分は何も欲しがらなかった (勿論、ただでさえ拾ってもらった恩があるのに  これ以上迷惑かけちゃいけないって思ったのもあるんだけれど・・・) 多分ねだらなかった理由は銀月に悩んで何か自分に買って貰いたかったからだ 銀月の好みを知りたかったというのもあったかもしれない 本当はとても欲張りだった 好きな人に長い時間自分の事を考えてもらいたかっただけだった (でも今思うと勿体無い事したなー。今の私だったら “なんでもねだっていいよ”って言われたらたくさん  お願いしたい事があるのに) もっと名前を呼んで、もっと手を繋いで もっとキスをして、もっと抱きしめて そう言ったら銀月は何て言うだろう きっとまず困ったように笑うのだ。 そして「仕方ないね」と言ってちゃんと叶えてくれるのだろう もう一度確かめるように飾りに手を触れた              *** 料亭は雅な音楽が流れていて華やかな装いをした女達が 店を頻繁に出入りしている なかなかに立派で品格の高そうな雰囲気を出す店に 千莉はおお、と声をあげた 「お金持ちって感じがしますね」 「あまりこういう所は得意ではないんだが、仕方がない」 零隆はそう言って溜息をつくと店の男に名前を告げる するとすぐに最もよさそうな部屋に通された 他の部屋に比べて密室的な感じで、密談でも行われそうな場所である 中で既に3人の女を横に侍らせ酌をさせていた恰幅のいい男は 零隆の姿を認めると、自分の前の席を勧める 女の一人がすぐに零隆の酌をしようと近寄ったが 零隆はそれに首を振って、まず頭を下げた 「日頃我が家をご贔屓下さいましてありがとうございます」 「ははは、零隆殿はお若いのにしっかりなさっている  そちらは品もいいから贔屓にさせてもらってるよ」 「光栄です」 「して、そちらのお嬢さんは?」 「家の者です。名前は雫(しずく)」 千莉は丁寧に頭を下げた。 身を隠している立場なので名前を“千莉”ではなく「雫」という 偽名を使う事にしようと零隆から来る前に聞いていたので慌てる事もなかった 男はその言葉に安心したように頷く もう40後半に見える男はたくわえた顎髭を撫でて笑い 奥の部屋に向かって手を叩いた 「今日はまずご紹介したい者がいましてね」  牡丹(ぼたん)、入っておいで」 その声と共に奥の襖が開かれ一人の女が入ってくる 念入りに手入れのされた白い肌にぷっくり膨れた唇 艶やかな黒い髪に名前の通り牡丹の飾りをさしたその女は 照葉程ではないが間違いなく美人と言えた 少し吊りあがった目を細め優雅に笑う 「お初目にかかります、零隆様」 「私の娘でしてね、なかなかの器量良しでしょう  是非お見知りおき下さい」 「はい」 大して表情を変えず零隆は応えた。千莉はぴんときた 今回のこの場はこの娘と零隆を引き合わせる為なのだろう だからさっき千莉が使用人だとわかり安心したのだ 確かにこれだけ美人である女ならば一度の顔合わせで 男などあっという間に陥没かもしれない だが哀しいかな、零隆は全く顔の色も変えなかった (少しくらい年相応の男の反応してください・・・っ!!) むしろここまで来ると甲斐性なしの気までするから不思議だ 千莉は零隆に言いたい、というかお説教したいのを飲み込んで努めて冷静を保つ 一人の女としてこれでは彼女に申し訳ない だが牡丹はそれを物ともせず零隆の側にしずしず寄ると その側に座り酒の入った陶器を持ち上げた その一連の動作までも女らしさを感じて千莉は思わずよろめいた (真似できない・・・、私には真似できないわ・・・っ!  何かしらあれ。手の角度?持ち方?よくわからないけれど  あれだけで色っぽい仕草ができるなんて・・・!  弟子入りしたい・・・!!) 弟子入りした所で誰にやるのかわからないが切実にそう思った 思い返せば最初に零隆と飲み明かした時など 自分は酌もせず一人でがばがば飲んでた気がする 零隆に酌をさせていたような記憶もあるが、多分それは気のせいだ ・・・気のせいである。そうだ、きっと気のせいだ。うんうん それにしたってなんて差だろう だが、それにもまた零隆は全く表情も変えず酌を受けるだけである (ばばば、馬鹿だわ・・・っ!煉笙様だったらそこで  さり気なく女の人の腰を引き寄せて耳元で“いい香りだね”とか  囁くのに・・・!何ですかその興味0みたいな感じは!  失礼でしょう牡丹さんにっ!) 煉笙の行動を見慣れてしまったせいかやはり零隆がどう考えても 同じ男というカテゴリーに分類されてない気がする 自分は零隆の行動に賛成派だが、多分彼女にとったら 煉笙のような態度を取ってもらった方が楽だろう 振り向いてもらうために自分を磨いて、頑張る姿というのには 共感できる部分が多々あるので千莉は心の奥底から応援した やがて料理が出され商談や政治の話まで話題は移り変わっていく それを興味半分で聞いていると、不意に男が顔をあげた そして娘を見る 「牡丹、お前は確か筑ができるだろう。ここで弾いてみせなさい」 「はいお父様」 どうやら男の興味はまた娘の縁談に向いているようだ 男は店の小間使いに言うと家から持ってきたらしい筑を用意させた 筑、と聞いて千莉の表情も変わる 牡丹は一呼吸おいて、優雅に弦を弾き始めた (あれ・・・確かにうまいっちゃうまいんだけれど・・・  何か不安定・・・あ、音間違えた・・・ここも) それは筑の演奏曲の中でもなかなか難しい物であるので 完璧に弾ききるには確かに技術力を要する物だったが 千莉は何度も弾いた曲であったため暗譜している 音のわかる千莉は内心ハラハラしながら耳を傾けた だが多分よっぽどやっている者でなければ気づかないだろうミスだ 演奏が終わると千莉は改めてその筑を見た 己が使っている物もなかなか良い品であるのだが その筑は更に年季のこもった筑で、細かい模様まで彫られている 細い弦が描く曲線も他の物とは格が違ういい物だ 不意に零隆が千莉を振り返った 「雫、確かあなたも筑が弾けたな」 「!え、あ、はい。でも、皆様の前で弾けるような物では・・・」 「あなたも弾けるのですか。宜しかったらこれをお使い下さい  折角の酒の席です。何か楽しみがあった方がいい」 男は頷く。内心、使用人がそこまで音楽に精通していないだろうと踏み 千莉が下手に弾く事で牡丹を際立たせようと思った所があった 千莉は少し迷ったように視線を泳がせたが、主人の言葉と その筑の誘惑に負け、では、と牡丹が退いた所に座る 案の定かなり高価な物である事はすぐにわかった 今の筑も文句なしで気に入っているが、筑奏者なら一度は 手にしたいと思う類の魅力がそれにはあった す、と千莉の目が細められる 先ほど牡丹が弾いた物と並び称される名曲を奏で始めた そういえば筑を弾くのも久しぶりだ 銀月の死を聞いてから一度も弾いてなかった 筑の音色は全てを思い出させる 嬉しい事も楽しい事も悲しい事も辛い事も 全てひっくるめてこの筑と共に過ごしてきた 筑が無条件で好きだった 銀月から最初に己でねだって貰った宝物 必死で練習して銀月に褒められようとしたものだ (ああ、懐かしいな) 自然と涙は出なかった。 反対に温かい気持ちが溢れてくる 哀しい思い出だけではないのは確かだから―――― 最後のひとつを弾き終わると部屋にいた全員が 度肝を抜かされたような顔をしていた 唯一零隆だけが満足そうに目を閉じて酒瓶を傾けている そして次の瞬間には大きな拍手が送られた いつの間にやってきたのか、部屋の外にも人がいた (―――――っ) 開け放した窓の外から誰かがもう一度弾くように声をあげた それに賛同する声が相次ぐ 結局周囲の他の客から乞われるまま3度弾いて千莉はようやく筑の前から離れた 男は驚いた顔をしたまま言った 「あなたは、誰に師事していらっしゃったのですか?」 「・・・・・恋人に教わりました」 ちょっと見栄をはるつもりでそう言うと零隆に頭を小突かれた 己の願望を聞いているのではないと言われしょげる。 (た、確かに告白は私一方的だったけれど、ちゃんと  あそこまでいったって事は銀月も受け入れてくれたって事だし  やっぱりこれは恋人って事でいいんだよね!世間一般の  恋人条件にぴったりじゃない!) 楽観的な考えに変えて一人合点し満足した 零隆に何と言われようが、恋人って言ったら恋人だ 欲を出して奥さんです。とか勝手な事を言ってないだけいいと思う 男は既に娘の事など忘れているのか興奮したように言った 「宜しければ今度我が家でやる宴会で弾いて下さりませんか  勿論その分の報酬は出しましょう!」 「・・・いいんですか?」 「はい!ああ、あなたほどの腕なら客は満足するでしょう!」 「零隆様・・・」 「・・・・勿論、あなたがいいなら私は何も言わない」 視線を送られた零隆はそれだけ言って酒を飲んだ 少しだけ迷った後、千莉はすぐに笑顔でその申し入れを受けた 牡丹も既に嫉妬という範囲から抜けているのか素直に賞賛の言葉をくれた 「あなた、凄いわね。とても上手だったわ」 「私は・・・これだけですから」 苦笑してそう言うと牡丹は不思議そうな顔をする それに曖昧な笑みで返し千莉は目を閉じた そして それが彼女の大きな人生の分かれ道となるのであった ||小説目次|拍手| (C)2008 Season Quartetto akikonomi
inserted by FC2 system