めぐりめぐって春がくる

2人の住む家は町外れのこじんまりとした家だった 銀月(ぎんつき)は所謂遊説家と呼ばれる仕事で 家を空けることが多い。それでもちゃんと家が保たれているのは 単(ひとえ)に千莉(せんり)のおかげだった 千莉は夕餉の仕度をしながらちらりと銀月を見る 時折考え深げにじっと手を見つめたり 鬱そうに溜息をついたりする仕草は 滅多に銀月に見られる姿ではない (・・・何を言われたんだろう) 千莉はあの穏やかそうな老人を思い出した 確か唐光(とうみつ)先生と言っただろうか 机に菜を運び銀月に呼びかけた 「銀月、ご飯できたよ」 「え・・・あ、ありがとう千莉。わぁ、美味しそうだね」 「・・・・銀月」 「ん?」 にこにこと椅子に座り箸を持つ銀月は 千莉の呼びかけにこれまた笑顔で返す その綺麗な顔が曇るのはどうしてだろう 「あのね、何かあったら相談してね」 「・・・・・」 「銀月が一人で悩むのとか、嫌だから  私は・・・銀月の為ならなんだってするよ」 「千莉、」 「それだけ!じゃ、食べよ。いただきまーす」 慌てて千莉も箸を持ちお椀を手にする 言った事全てが本心だったが、なんだか気恥ずかしかったのだ 銀月はそんな千莉を見て目を伏せる この少女にこれからもっと心配をかけるのだろうか、 食べ終わるとお風呂に入って本を読んで そして2人で一緒に布団に入る 千莉が16を過ぎた時に別の部屋にしようと銀月が提案したのだが 千莉が猛烈に嫌がったのだ 一人は恐い、と だから千莉が年頃だとしても一緒に寝ている 布団に入るとあっという間に千莉は寝息を立て始めた 銀月はそれを確認してゆっくりと布団からおきだす 「・・・・睡眠薬が効いたかな」 じわじわ来るものなのでおかしくは思われないはずだ 眠る千莉の頭を優しくなで微笑むと 銀月を上着を羽織って家のドアを開けた そして果てしなく広がる闇に呼びかける 「入ったらどうですか、唐光先生」 「随分千莉殿との扱いが違うじゃないか、銀月」 ぬっとその闇から現れた昼間の老人は部屋にあがると 先ほど夕餉をとっていた机に腰掛けた 銀月の目は陰険だ。千莉などが見たら驚くような まるで別人のような表情だった しかしそれに唐光は驚く事無くしわくちゃの骨ばった手を重ね 銀月を見た 「昼間の話だが、出発は早いほうがいい」 「・・・お受けするとは言ってません」 「お前にしか頼めない話だとわかっているだろう  今や荀(じゅん)は閑(かん)も制覇し桃水(とうすい)の  側まで迫っている。一刻の猶予も許されていない」 「・・・桃水まで・・・・」 桃水というのはこの地域に流れる長く太い川で 多くの国の水源となっている川だ 銀月はその端正な顔を歪ませた 「私でなくても他に頼める人間がいるでしょう」 「ふん、わしの刺客集団で“銀の風”の呼ばれ  最も仕事が出来たお前がそれを言うか」 「過去の話です。今の私はのんびりと可愛い妹と暮らす  遊説家という肩書きになっているんですよ」 「可愛い妹とは、よく言う。まぁ昔のお前の嗜好から  随分離れた少女だとは思ったがな。もう寝たのか?」 「・・・・は?」 一瞬銀月は何を言われたのかわからなかった 思わずその口から間抜けな声が漏れる 「もう寝たのかと聞いているんだ」 「・・・妹だと言ったでしょう」 「よく言う、わしを見た瞬間遠ざけおって  昔のお前からは考えられないほどデレデレしておったではないか」 「・・・デレデレ・・・」 「それでも妹だと言い張るのならお前は大馬鹿じゃ  お前がそんなに不抜けているのとは思わなかったぞ」 「・・・・」 唐光はがた、と席を立った そして何気なく部屋をぐるりと歩き、再び銀月の前に立つ その皺の深い手で銀月の端正な顔をぐっとあげた 「さぁ、媛(えん)の為に再びわしの元で働いてくれるかな」 「・・・・お断りします、と言ったら」 「拒否権などない」 銀月の手にじわりと汗がにじんだ この威圧的な老人はどうも昔から好かない     ・     ・     ・ ぱちりと千莉は目をあけた そしてぐるりと室内を見渡す 「あれ・・・銀月?」 隣で眠っている筈の彼の姿がない ふと居間の方から声が聞こえてくるのに気が付いて 千莉はもぞもぞと布団から起き出した もしかしてまだ本をこっそり読んでいるのだろうか 何故か今日はすぐに眠ってしまった (もしまだおきてたら怒らないと  睡眠は何より大切なんだから) そう思ってゆっくりと居間へと向かいドアを開けた 瞬間銀月の厳しい声が響いた 「千莉!!見るなっ!!」 「え・・・」 何故か部屋の床に赤い物が滴っている そして不自然な形で倒れている姿 その血溜まりにいる赤い血のついた短剣を持っている銀月 ―――― なに、これ その倒れている姿は紛れもなく昼間に出会ったあの老人であった 何故こんな時間に家にいるのか がくがくと足が震え千莉は壁にもたれへたり込んだ 銀月が舌打ちをしたのが聞こえた 短剣を床に置き唐光の手を腹の上で組ませると ふらりと千莉に近づいていく だが不思議と千莉は恐くなかった 真っ赤に銀月の服が汚れている (洗濯が・・・大変そうだな) うまく思考回路ができていない頭は ぼんやりとそんな事を考えていた 今目の前で起こった事が理解できなかった 「・・・千莉」 「・・・・・・」 銀月が膝をつき千莉を抱きしめた 血なまぐさい匂いがしたが千莉は逃げなかった だが頭がうまく働かない。何を言えばいいのかわからない 銀月は千莉を強く抱きしめたまま口を開く 微かにその声が震えている気がした 「・・・・ごめんね、千莉。僕は行くよ」 「・・・・」 「君と過ごせた年月はとても楽しかった」 千莉はそれに答えようと口を開く だがひゅーひゅーと喉から乾いた風が出てくるだけで うまく声が出せない。役たたずめ 銀月はそれに気づかず言葉を続けた 「愛しているよ、千莉」 ふっと千莉から力が抜ける 銀月の手が軽く千莉の首に触れただけだが その一瞬で気絶させたのだ 千莉を抱き上げるとその額に唇を落とし他の部屋に寝かせた そして唐光の亡骸を近くに埋めると 身の回りの物だけ簡単に包みそれを背負った ― 僕は行くよ、千莉 ― さよなら、とは言わなかった           *** 千莉ちゃん、 千莉ちゃん (ん・・・声が・・・) いつも起こしてくれる銀月の声でない声が千莉の体をゆすった 千莉はそれを不思議に思いながらゆっくり目を開ける 「千莉ちゃんっ」 そこにはあの茶屋の雪花(せつか)の美しい顔があった 何故かとても焦った顔をしている その雪花の後ろには茶屋の天井があった 「・・・・姉さん・・・」 「どうしたんだい千莉ちゃん!!何で  あんな所に寝て・・・っ!」 「・・・・・?」 「しかもこんな手紙までっ」 まだぼんやりする頭を重たげに持ち上げて 千莉は目をこすった そして雪花が差し出した手紙を受け取り読む 瞬間昨日の記憶の全てが蘇えった 赤い血 抱きしめた銀月 ― 僕は行くよ ― 「・・・・・!!銀月っ」 「銀月さんの“千莉をよろしくお願いします”って  こんなのが置かれて店の外で寝てるから驚いたよ!  一体どうしたんだいっ!?」 「ね・・・姉さん!どうしよう、どうしようっ、銀月が・・・!」 千莉は昨日の記憶がいっぺんに溢れて混乱していた 雪花にしがみつきぼろぼろ泣く それも収まって漸く落ち着いて話せるようになった頃には すでに日は高く上っていた 落ち着いて己の服を見てみると赤い血が ところどころについている 勿論それも既にそれも乾いて赤黒くなっていたが 雪花の出してくれたお茶を啜りながら千莉は呟いた そうだ、とにかく 「私・・・家に帰らないと・・・」 「残念だけれど、そりゃ駄目だろうね」 「!」 「千莉ちゃんの家は燃えちまったらしいよ  千莉ちゃんの服とかが全部ここにあるのから見て  銀月さんが燃やしたんだろう」 「・・・・・!」 千莉は言葉を失った 帰る場所も消えてしまった、大切な人もいっぺんに 銀月の書いたと思われる文には 千莉をここで住まわせてもらえないか、と書かれており 最後には雪花への謝罪と、そして 「“どうか、千莉は全てを忘れて生きてね  あの夜は全て夢だったと”―――なんて」 ぽたぽたと千莉の目から涙が溢れた。昨日までは凄く幸せで 銀月の側にいて笑って、一緒にご飯食べて 街を歩けば銀月がいて、家もあって 全部が幸せで溢れてたはずなのに (全部あの唐光って男のせい・・・っ!!) ぎり、と歯を食いしばった そしてはっと千莉は顔をあげて雪花を見た そう言えば昨日彼女はあの男について何か言いかけていた 途中で銀月が来てしまったのでそれ以上聞く事は出来なかったが 「姉さんは、あの唐光って男の事何か知ってるんですか!?」 「え・・・、知ってると言っても・・・」 「何でもいいんです!銀月の行方の手がかりになるならっ」 全て忘れて生きろ、なんて勝手すぎる もしもあの夜銀月に抱きしめられた時に 何か言えていたら置いてかれずに済んだのだろうか 銀月が彼を殺したのか、それの真偽もわからなくなって それで自分だけ置いていくなんて酷い 彼のためなら何だってできるのに 「・・・・知っても、どうする事もできないかもしれないよ」 「それでもいいんですっ」 雪花は悩ましげに溜息をついた これは引きそうにない 「・・・・あの唐光って男は・・・媛(えん)の国の宰相だよ  お客さんからそういう人がここに来てるって噂を聞いていたし  あの身なりから予測してそう思っただけだけれどね  彼の刀に掛かってた印を見たかしら」 「・・・・いえ」 「タンチョウと紅葉の葉の印はね、媛の王家の紋章だよ  それを持ってるって事はかなりのお偉いさんだろうよ」 「そんな人が銀月に何の用が・・・・?」 「そこまではわからないよ」 雪花は首を横に振った。しかし千莉の目は生気を取り戻しつつあった 媛の国、そして王家、それさえわかれば銀月の行方は大体わかる ようやく希望が見つかった 千莉は一室を借りて血のついた服を着替えた そして銀月の残してくれた筑を取ると弦の様子を確認する ひとつ試しに鳴らすときちんと音が鳴った (私は置いてかれないんだから・・・) (待っていて、銀月) 会ったら思いっきり殴ってやる 一曲そのまま奏で千莉は唇をかみ締めた 行く先は、媛へ |小説目次|拍手|| (C)2008 Season Quartetto akikonomi
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