めぐりめぐって春がくる

喉が渇いていた。 しかし水など求める暇もなく 銀月は馬を乗り捨てると一際大きな城壁をもつ門をくぐる 少し血に濡れた通行所を見ても 誰も銀月(ぎんつき)を引き止めなかった ― この国では知られすぎたか ― まだ自分が千莉と同じ年ぐらいのころ過ごしていたこの国は 昔に比べて随分活気を失った物だと思った 多くの国民は逃げ出したのだろう だが、多くは国を出てすぐに死んだはずだ (あの野党の数・・・多すぎる。荀(じゅん)が攻め入る隙を  つこうとする奴が回を経るごとに増えているのか) 自分も来るまでに何人も切り捨てた 生きているとしても多分奴隷として売られるか それとも物好きな金持ちに売られるのか そうでなくても金品を全て奪われた民は生きてはいけまい (これが荀が攻め入ろうとする国の現状・・・) ひっそりと息をひそめ暮らしている民の方が利口だ 少なくとも荀の王は抵抗さえしなければ 危害は加えない人物らしい だが、 銀月は通された部屋に入ってきた人物の気配に気がついて 正式な礼をとった その入ってきた主は銀月よりも上の座に座ると その白い象牙のような手を宙に投げ出した 「唐光(とうみつ)が、遺した物をここに――――」 それはまだ若い女の凛とした声だった             *** 「ここら辺で休もう」 「っ、はい」 うっそうと茂る森に入ったところで零隆(れいりゅう)が馬から降りた 水を取り出し飲んで、馬の汗をふき取る 千莉(せんり)も同じように水分補給をして己の汗をぬぐった 額に粒を作った汗は結びついて頬を伝っておちる 服は汗でびっしょりと濡れていた 「媛は・・・暑い国だと聞いています」 「ああ。そのせいか温度があの街より高く感じるな」 「――――・・・零隆様」 千莉がそう呟いた瞬間、馬の汗をぬぐっていた零隆は その腰から短剣を取り出し茂みに投げつけた 千莉も汗をぬぐうフリをして近づいた馬の荷物入れから 弓矢を取り出し2本を同時に打った どちらの攻撃も手ごたえがあった 獣のような声が森に響きどさ、と何か落ちる音がした 周りからとまどいが感じられたが それを合図に何人も物騒な物腰の柄の悪そうな男たちが あちらこちらから千莉と零隆を囲むようにして出てきた 「その綺麗なお顔に傷つけられたくなければ  金目の物は全部置いていきな。その嬢ちゃんもな」 「悪いが断る。彼女は大事な届け物でな  無事に届けなければお前達よりもっと恐い人間に殺される」 「・・・零隆様、ここは私が全てやります」 「余計な体力だ。さっさと終わらせてしまおう」 千莉と零隆は背中合わせになってそれぞれの武器を構えた 男たちは零隆の言葉に歯をぎり、と噛み どこかの兵から奪ったのか随分錆びれた剣を掲げて襲い掛かってくる どうせ若い男と明らか弱そうな女だと踏んだのだろう だが一番に襲い掛かってきた男たちはいとも容易く 2人に近づく前に地面にばたばた、と倒れていった と同時に千莉が弓矢を引いては撃ち、引いては撃ちを繰り返し 片っ端からどんどん倒れていく 弓矢には昨日街で買った特性の猛毒が塗ってある 零隆も容赦なく次々に斬り捨てていった 最後の一人を斬ると刀の切っ先を払い零隆は千莉を見た 肩を上下させながらふん、と笑う 「なかなかの弓矢の腕だな」 「遠距離戦が得意なんです。えと、刀はからっきしですが」 「・・・・そうか。朝に言った事は撤回しよう  やはり厨房より兄上の護衛でよかった」 「まあその仕事も煉笙(れんしょう)様の我が儘で  世話係になりましたけれどね」 「・・・・・」 煉笙の事を出されると弱いのか零隆は言葉につまった 「あの人は・・・ああ見えるがそれなりに考えての事だ、と思う  意外にしっかりしてるとしてるしなっ」 「あれがしっかりしてるように見えるなら猿だってしっかりしてます  ゾウリムシだってもっとマシですよ  唯一評価できるのは約束は守らない事ぐらいですかね」 「いや、しかし・・・」 一応兄なのでなんとか弁護しようとしているのだろうが 千莉の言う事の方がどちらかといえば零隆の意見なので ことごとく玉砕していた。やはり駄目だ 自分にはあの兄を弁護する事などできるはずがない 彼もあの兄については理解できない部分が多々ありすぎるのだ 綺麗な女ばかり連れ込んでハーレムを作っているかと思えば 時折千莉のような容姿が平凡な少女に入れ込んだりもする しょうもない人間かと思えば人助けのような事もする 平凡に生まれついた零隆には煉笙がいまいち理解できないのだ そう、今も。 千莉は憂鬱そうな溜息をついた 「それにしても数が段々増えてきましたね・・・」 「ああ。媛に近づいてきたからな」 「弓矢の残りがかなり少ないです。これじゃ  次に襲われたら終わりますね」 「・・・そうか。仕方がない、ではここからは一気に  休息無しで媛に入国しよう。全速力で走る馬に  ちょっかいは出せまい」 「でもこの子達凄く疲れてますよ。そんなに走れるかどうか・・・」 「・・・・」 さすがに馬にも疲労が見えてきたらしかった かなり無理をさせてしまったかもしれないと 千莉は労わる気持ちもこめて馬の首を抱きしめた 銀月まであと少しなのに。 媛はもうすぐそこなのに。  気持ちばかり焦って、体など置いて 魂だけでも早く向かわせられればいいのに それを見ていた零隆はその隣に立ち 馬の腹に手をあてた 「・・・・大丈夫だ。そんなにヤワな馬じゃない  この馬は我が家でも最高の馬だ」 「でも、疲れます」 「あなたは早く媛に入りたいのだろう?それなら  多少の無理も必要ならやるべきだ」 「・・・・・・」 その言葉に千莉はぐっと顔を上げた そうだ、何のためにここまで来たのだ 全て銀月に再び会うためじゃなかったのか もうすぐそこなのに、ここで無理をしなくていつするのか もう一度馬を仰ぎ見る そして額をつけて呟いた 「ごめんね、もう少し頑張ってもらっていいかな」            *** 女は血のこびりついた印を見て顔をしかめた 「・・・・私は、大切な事だったから注意もかねて  “内密にしてくれ”と頼んだんだ  それがこんな結果になるとは・・・」 「先生は気難しい方でしたから、」 「・・・彼には申し訳ないことをした」 大切そうにそれを抱き込み溜息を漏らす 銀月は唐光が死ぬまでの一部始終を話し終え目を伏せた (あの死に損ない、面倒な事をしてくれた) 一人の重臣を失ったことでこの国は更に危なくなった それも全てあの老人の勝手な矜持のせいだ そうやって自分をここまで無理やり来させ あとは任せるなどとふざけた事を言う 『のう銀月、王はわしににこの計画を話されたとき “この事はどうぞ内密に”と言われた  本当に信頼のある臣下であるなら言われずとも  君の秘密は守る。だが、わざわざ君が申されたという事は  わしが信頼に足る臣下ではなかったという事じゃ  寂しいのう、この老いぼれ。媛に費やしてきた年月は何だったのか』 『ここで幕引きよ。わしの使命はお前に王の願いを届ける事じゃ  その仕事も終わった今あとはお前次第  わしの使命は終わった』 『媛を頼んだぞ、銀月。唐光は確かに秘密を守った、と』 そして彼は自分で己の心臓を突いた くっと銀月は唇を噛む。すっかり荒れ果てた唇は 久しぶりに水分を吸ってカサ立つ そうして死んだ唐光。おかげで自分は大事な物を 手放さなくてはいけなくなった それも全て昔に染み付いた従う癖のせいだろうか あの老人の言葉を受け入れてやってきてしまったのは 一端(いっぱし)の凡人のように故郷に愛情があったからか どちらにしても面倒な事を持ち込んでくれたのは確かだった 「・・・・銀月よ、遅くなったがよく戻ってきてくれました」 「あなたも大きくなられました」 「私の最後の願いです。どうか、媛のためにこの仕事を  やってくれないだろうか」 女はじっと鋭い力をもつ両目で銀月を見つめる その声には疑問ではなく確認するような響きがあった 銀月ももうここまで来てしまったからには 断るつもりなどなかった 再度頭をたれ「是」と答え女の視線を返す その目を見て女は満足そうに頷いた 「さすが、“銀の風”と呼ばれた男。あなたを信頼してます  荀などに先祖代々守りつづけてきたこの土地を  渡す訳にはいかないのです  これは一族の誇り全てをかけた願いです」 「・・・・慎んでお受けしましょう」 「出発までどうぞおくつろぎ下さい。最高の家を用意しました  勿論食べ物も女人も全てそろえております」 「・・・・・」 「頼みましたよ、銀月」 銀月の目に黒い淀んだ影がうずまいた |小説目次|拍手|| (C)2008 Season Quartetto akikonomi
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