めぐりめぐって春がくる

まだ白い靄が漂っていた 髪がしっとりと濡れ始めている 「どこからも入れる場所はないのかしら・・・」 目の前に聳え立つ高い城壁を見て千莉は眉をしかめた この先に銀月がいるかもしれないのに、近づけない 零隆になるべく迷惑をかけないようにと こっそりまだ日も昇らないうちに家を抜け出してきたのだが 門番もいないまま城門だけが硬く閉ざされている状態では 入る手立て自体がない 「ああもう!ここまで来てるのにっ!」 「こんな時間なんだから当たり前だろう」 「!!零隆、さま・・・」 いらいらして壁を蹴り飛ばした瞬間びくっとして千莉は振り返った そこには何故か不機嫌そうな顔をして夜着の上に 厚い羽織ものを着ただけの状態で零隆が立っていた 青い髪がそのまま結ばれずに流されているのを見ると 起き抜けのままやってきたのかもしれない 確かにまだ日も昇っていないので人の目はないが・・・ないのだが、 「何やってるんですかー!そんな格好じゃ  風邪ひいちゃいますよ!」 「それは私の台詞だ。今の時間に来たって何も出来ないだろう  取り次ぐ門番もいない」 「城壁をよじ登るつもりだったんです!  ちょっと色々無理そうですけれどっ」 「だろうな。そんな簡単に登れる壁を作る訳ないだろう」 千莉は慌てて近づいていって 零隆に自分の着ていた物を更に上に着せた 彼に風邪をひかせたとなれば あの煉笙が更に何を要求するかわからない 零隆は拒否したが千莉はそのまましっかりかけて腕を組んだ 「何でこんな時間にこんな場所にいらっしゃるんですか!」 「昨日の様子だと一人で勝手に行動するだろうと思ったからだ  早く起きてみれば案の定あなたがいなかったからな  どうせここだろうと予想して来てみたんだ」 「来てみた、って・・・はああああ」 壁に頭をつけて千莉は深い溜息をついた すっかり自分の行動は見通されているようだ 迷惑をかけないように、と 一人で朝早くやってきた意味がなくなってしまった 零隆は千莉の背中を押した 「!」 「帰るぞ。このままじゃ風邪をひく。昼間に出直せ」 「・・・・・」 「勿論私も一緒だ。今更迷惑かどうかなんて考えるな」 そのまま馬に抱え上げられ有無を言わさず 屋敷に連れて帰られた 黒い男物の夜着に不釣合いな千莉のかけた桃色の布が ふわりふわりと馬が歩くたび揺れる (ああ、なんだか零隆様の前じゃ下手に動けないわ) その度に零隆は行動を読み取って心配して来てくれるのだろう 優しいのだがちょっと自分が情けなかった             *** 「・・・・・千莉?」 銀月ははっと眼を覚まし体を起こした よっぽど疲れていたのかあの拝謁が終わって部屋に通されてから ずっと死んだように眠っていたらしい 夢にでてきた千莉は泣いていた ぽろぽろ泣いて自分の名前を呼んでいる でも、ごめん。もういられないんだ 離れると千莉はもっと泣いた (泣かないで、千莉) (僕が離れると君はすぐ泣く) 拾ってきた時から、ずっとそうだ 一緒にいてもなかなか喋られないのに、離れるとすぐにぐずった 初めて喋った時も必死に自分を探して来た時だった気がする 『ぎんつき、ぎんつき、おいてかないで』 喋ってくれた事に感動してその後わざと姿を消してみせたりして 捜させたものだ。必死に自分を捜す千莉を見るのが楽しかったのだが 結局泣きそうな千莉に負けて出て行ってしまった 『全く、君は僕が離れるとすぐに泣くね』 『だってぇ』 『でも僕はそれが嬉しいからいいや』 『ほんとぉ?』 『うん。本当』 抱き上げるとすぐに笑顔になる千莉 懐かしい温かい思い出を振り返って銀月は苦笑した 隣で寝ている千莉がいないのがこんなに寂しいなんて (そういえば離れて寝よう、って言った初日に  泣きながら僕の所に来たんだっけ) 予想以上に早い挫折だった 成長段階の千莉に配慮しての銀月の行動だったが 千莉にとっては最悪の配慮だったらしい 朝起きたら布団を引きずって来たのか、自分の隣に いつものようにそれをひいて寝ていた あの時銀月は真面目に千莉に兄離れをさせなければと考えたぐらいだ 兄離れ・・・もとい、育て親離れだが。 しかし目覚めた千莉が嬉しそうな顔をして抱きついてきた物だから 言う機会を失ってしまった そうしてそのままずるずると 千莉が17になっても同じ部屋で寝るにいたったわけである 「二人で寝るのに慣れすぎたのかな・・・」 片膝をたててそれを抱え込んだ もう、千莉に会えないと思うと寂しかった 最後に見たのが笑顔じゃないのが哀しい 元気でやっているだろうか、置いてきてしまったが 雪花の下でちゃんと立ち直ってくれていればいい ―僕じゃない、誰かの元で 心臓が不意にきりりと痛んだ それに気がついて慌てて誰にかはわからないが弁解する 「僕は幼女趣味じゃない・・・“養女”趣味でもないぞっ  妹が離れていくのが切ない兄の気分なんだっ  そうだ、きっとそうだよ、うん」 一人合点して布団を被る 自分の家よりもずっとその豪華な、しかも敷布団ではなく 寝台であるそれの枕を掴み顔をうずめため息をつく 幼女といってもすでに千莉は17であるし いや問題なのは自分の年齢のほうであるのだが・・・ 千莉は多分20代前半ぐらいだと思っているだろうが 実は千莉より干支が一回ぐるりと回っている そんな30を目前に、いい大人が何を悩んでいるのか 「・・・何か千莉の物を持っておけばよかった」 そうすれば少しは寂しさを紛らわせられたかもしれないのに 最低限の必要な物を除いては死体と、そして 血で汚れた部屋とともに燃やしてしまった 今思えば飾りのひとつでも持っていればよかった そこまで考えてぴたりと動きを止める (・・・・まてまて。その考え自体がどうなんだろう  30前の男が女の子の飾りをずっと持って  にやにやしてるのか・・・?そ、それは  明らか怪しいって!駄目だ・・・・やっぱり) 重い溜息をついて銀月は手の平を見た じっと見つめ月光にかざす 数度ゆっくり瞬きをして瞳を閉じそれを布団の中に戻した            *** 「全く、あんな朝早くから起きてあなたは・・・」 「零隆様が付いて来るなんて思わなかったんですもん  なんでそんな早起きに慣れてるんですか」 「朝稽古にはこれくらいの時間が一番良かったんだ  誰もいないし、静かだし、腹が減り始めた頃に朝食になる」 「ぬわぁんですかその超健康児の生活!煉笙様の朝は  お天道様が真上に来てから始まるのに!  流れる血が違いすぎるんじゃないですか!?」 「失礼だな。正真正銘全く同じ血だ」 少し早めに用意された朝食を向かい合って食べながら 2人はそんな言い合いをしていた 豪勢なその朝食に千莉は目を輝かせて飛びついたのだが さっきから箸を動かすより零隆と話す時間の方が長い気がする 綺麗な衣を汚さないように、と慎重に千莉は 朝食に出ていた白米を食べながら零隆を見た 「・・・だとしたら七不思議にはいりますよ」 「それは光栄だ。100年後も語られるだろう」 「・・・・・・」 美しい箸捌きで口に運んでいきながら淡々とそう告げる零隆に 千莉は悔しそうに眉をよせた 何故だか彼はいつも自分の上を読み取っていく気がする 今日もそうだが千莉の考える事など全てお見通しのようだった それがなんだか悔しい。こっちは全然わからないのに 不意に零隆が箸の動きを止め顔をあげた 入り口の方を見ると一人の男が立っている 「頼んだ物は準備できたか」 「はい。こちらに」 「ありがとう、下がっていい」 「はい」 男は何かの置かれた台を置いてしずしずと出て行った 「あれは何ですか?」 「王宮から頼まれていた物品だ」 「は・・・?」 「私はそれを届けに行くが、お前はついてくるか?」 「い、いきます!行かせてください!」 一気に顔を輝かせた千莉を見て零隆は少し笑った 予想していた反応にぴったりすぎる 「では部屋に届けた服を持って後で私の部屋に来い  すぐに出かけよう」 「わかりました!あ、あの・・・零隆様、ありがとうございます」 「・・・何故だ?私は王宮に届け物があるから行くだけだ」 そういう零隆に千莉は微笑んだ これ以上迷惑をかけるのは、と言った千莉を 気遣ってこう言ってくれているのだろう その優しさが嬉しかった 部屋に帰り着替え、零隆の言った服を侍女から受け取ると首を傾げた 零隆の部屋に言って聞いてみると零隆は事もなげに答えた 「女官服だ」 「え、何でそんなもの・・・!」 「王宮で探すんだろう?  だったら怪しまれないような服装をしといた方がいい」 「・・・何処でこれ手に入れたんですか」 「裏ルートだ」 「・・・・」 その後冗談だ、と言われたが千莉にはそれが冗談には聞こえない 恐るべし商人の世界。何でも揃えるのか 女官服を丁寧にたたみ包みに入れると 2人は屋敷を出て王城へと向かった。朝とは違って馬ではなく徒歩だ 「それにしても、本当に街が静かですね」 「そうだな。街の中は外よりずっと安全なんだが  攻められるという恐怖感があるからあまり  町の人は出たがらないんだろう」 「・・・・・ここの王様ってどんな方なんですか」 「この付近の七国の中では唯一の女帝だ  小さい頃は荀に人質に取られていたらしいが  ある日突然帰ってきたらしい。それも荀が媛を  侵略する原因の一端にもなったと噂されているが  攻められるのは時間の問題であったから、むしろ王位に  着く者がいてよかったのではないかと私は思う」 「女帝・・・・」 「名前は確か、照葉(しょうよう)様と言った」           *** その照葉は自室で溜息をついた 王宮の中でも最も豪華で広いその部屋には 今は女官が出払って誰もいない 重臣で最も信頼していた唐光が死に その代わりに彼が過去に保有していたとされる刺客集団で “銀の風”と呼ばれ恐れられていたという青年がやってきた 名前は銀月。綺麗で穏やかそうな顔した青年を見て 果たしてそれが本当なのかわからなかった 刺客、というイメージからは掛け離れているのだ (彼は信頼できるのかしら・・・) 正直言ってよくわからない。だがあの唐光が 信頼を置いた人間という事は実力は確かなのだろう (唐光・・・) 銀月の持ってきたあの血塗られた彼に与えた印を 懐から取り出し懺悔した 自分は彼を信頼していたのに、考えずに つい口に出た言葉のせいで彼は自害してしまった。 (仕えるに足らない王でごめんなさい) 王、と言って彼女はふと荀を束ねている男を思い出した 過去に彼女が人質としていた時に知り合った男 照葉が国に帰るときに泣いて縋った少年 “お前だけは俺の元から離れないと信じていたのにっ” もう少年ではないだろうその男を思い出して 照葉は溜息を更に深くした 今はもう敵だというのに。先祖代代守りつづけたこの土地を 他の者に渡すなど誇りが許そうはずもなかった だが、時折彼の言葉、彼との思い出が蘇える “照葉、俺が大きくなったらお前を俺の専属の  世話係にしてやる。ありがたく思え” “おあいにく様。その時には私は既に国に帰ってるわ” “は!?そんなの俺が許す訳ないだろうっ  お前はずっと人質だ!帰るなんて許さないぞ” (全く・・・どこまでもわがままな子だったわね) 知れず笑みが漏れた。随分昔の話だ あの可愛がっていた少年が今は自分の身を脅かしている その事実も忘れてしまうほどに愛しい記憶 だが、それに甘えてばかりはいられない 己の望んだ事のせいで逃げた民は野党に襲われ 重臣の一人は自害した (もう引き返せない所にきている) 荀の軍は桃水のすぐそこまで迫っている攻められるのは時間の問題だ 今はまだ様子見、と言った所だがいつ攻められるか 不意に部屋のドアが叩かれた 「照葉様、氾(はん)将軍がお見えです」 「・・・お通しして」 女官の言葉に照葉は首をかしげて頷いた 何故彼がこんな時間に訪れてくるのだろうか ドアが開いて一人のがっしりした体格の男が入ってくる 無精ひげを生やした頬の骨はしっかりしていて 着物の上からもわかるほどの並々とした筋肉だ 嘗て荀の将軍をしていた彼が一ヶ月ほど前に 媛の国に逃亡してきたのを照葉が匿っているのだ 氾将軍は膝をつくと照葉を見た 「照葉殿、この度唐光先生の訃報  心よりお悔やみ申し上げます」 「・・・・ありがとうございます、氾将軍」 「頼りになる重臣を失った事で照葉殿がどれほど  傷ついていらっしゃるか・・・!  荀の王によって命を狙われた私を危険を承知で  匿って下さった恩は必ず返します!何かあれば  なんなりと仰ってくだされ!この氾、照葉殿の為とあらば  苦い肝でも薪の上にも喜んで寝ます!  照葉殿から与えられる痛みは私にとっての快楽!  馬車馬のように使ってください!!」 「あああ、ありがとうございます氾将軍・・・っ  お、お気持ちだけ受け取っておきますね。っほほほ」 「ああ、今日もそのお声はまるで小鳥のようだ・・・!  その美しいお顔は正に天に愛された証拠ですっ!  この氾、照葉殿の行く場所ならどこまででもついていきます!」 「あ・・・り、がとうございます」 照葉は顔を引きつらせた いつの間にか氾は照葉の手をがっとつかみ顔を間近に迫らせていた そう、何が問題であるかというと氾は照葉を女神のように奉っているのだ 気が付くと後ろで見守っている。気が付くと何故か氾の部屋に 照葉の物がある。数日前に氾が部屋で 照葉の使っている香水を嗅ぎながらうっとりしていたのを 女官が見つけ青くなっていたのも記憶に新しい 『私もうどうしたらいいのかわからなくて・・・!!  ああ、今思い出しただけでも鳥肌が立ちますわっ!  照葉様、服や物がなくなっているとかありませんか!?』 どういったらいいのか照葉はわからなかったが 単刀直入に一般女性の意見から言わせて貰うなら というか女官の言葉をそのまま引用させてもらうなら 『気持ちが悪い』 まぁ正直そういう事だった。 照葉は笑顔を無理やり作って手を外し一歩離れた 「大丈夫ですわ、氾将軍。頼もしい刺客を雇いましたし」 「刺客?刺客ですと・・・・?」 「は、はい」 「何て事!それでしたら私が喜んでやりましたよっ!  何故仰ってくれたなかったんですか!?わかりました  私はまだ照葉殿の信頼に足りていないという事ですね」 「!!それはっ」 照葉は唐光の件を思い出して慌てて言葉を探した そうではない、そうではないのだが だが氾はふむふむと頷いた 「確かに私はまだ照葉殿に筋肉の極限の美しさを見せる  あの必殺技を見せていない・・・それがいけなかったのかっ」 「・・・・・は」 「私の筋肉祭りだけでは足りなかったのはよくわかります!  さすが照葉殿お目が高い!」 「いえ、あの・・・・は?」 「しかし必殺技というのは最後に出すものです  そうしょっちゅうは見せられません  くっ・・・残念だ!しかしご安心あれ照葉殿  必殺技は見せられませんが私の心は常に貴女とともに!」 「ありません!・・・いえ、そうじゃなくて・・・」 「というかその照葉殿に頼られている羨ましい輩は  一体どこのどいつですか!?必殺技が見せられない代わりに  私が勝負を挑んでみせます!勝ったら私を頼ってくださいっ」 照葉はもう何がなんだかよくわからなくなってきた この男の思考回路は常に自分の予想範囲外だ 一応これでも荀の国では首にかなりの金額がかかっている お尋ね者のはずなのだが・・・ しかしそこでピンと気が付く これはもしかしてあの銀月という男の力を知る丁度いい チャンスなのではないだろうか 氾は馬鹿に見える・・・いや、少し、ちょっとおかしいが 力だけは確かなのだ。その証拠に媛の兵士の誰も彼には勝てなかった 情けないが将軍もだ それに勝てればその実力は確かな物なのだろう 照葉は精一杯の笑顔を作った 「それではお試しくださいませ。私も氾将軍の  勇姿を是非見たいですわ」 「おおおおおおっ!!そのお言葉ぁぁぁぁっ!!  見ててくださいね照葉殿!私は必ずやあなたの期待に  応えて見せます!!」   氾はそれだけ言うと物凄い速さで部屋を出て行った 利用してしまうのは悪いが、さてどうなるのか 氾をつれてきた女官は申し訳なさそうに頭を垂れている そこに別の女官がやってきた 心なしか顔が青い 「照葉様、あの、猿男は・・・」  「何も言わないで」 「・・・・・」 「お願い、何も言わないで」 女官2人の気遣わしげな視線が照葉に寄せられる それに照葉は頭をふるふると横に振った はっとやってきた女官が本題を思い出す 「お伝えします、王が前に頼んでいらっしゃった物を  商人が届けに参りました」 「・・・本当?では私が直々に行くわ  それまで待たせておいてくれるかしら」 「はい。わかりました。それでは失礼いたします」 照葉は立ち上がり上着の袖に手を通す そして部屋を出た |小説目次|拍手|| (C)2008 Season Quartetto akikonomi
inserted by FC2 system