めぐりめぐって春がくる

「次男様でいらっしゃるんですって・・・!」 「まぁ、とってもお綺麗な方!」 「お兄様は病気がちでお外に出ないと聞きましたけれど  弟君があれだけお綺麗でしたらさぞお兄様もっ」 「お名前は何ておっしゃるのかしらっ」 先ほどから寄せられる女官達の好奇な視線に 零隆は少し居心地悪そうに身じろきする 隣で同じように礼をとっている千莉が小声で呟いた 「モテモテですねー羨ましいですよ」 「・・・・うるさい」 「はは、手でも振ってあげれば喜びますよー」 「あなたが振ったらどうだ」 「私じゃ文句言われるのが関の山ですもん」 その時ドラの大きな音が鳴り響いた それが王の来る合図であるので、零隆と千莉は口をつぐみ 緊張した面持ちで来るのを待つ かつ、かつと布が地面に擦れる音とともに 2人から少し離れた場所で足音が止まって椅子に座る音がした 2人は顔をゆっくりとあげる (この方が照葉様・・・・、唯一の女王) その顔立ちは美しく女の千莉でも一瞬どきり、とした 女らしさが溢れる肢体が本気で羨ましい (あれだけ豊満な体していれば武術なんて  習う必要もなかったのに・・・!) 武術を習った動機が不純なだけに千莉は真面目に思った ふと、ある不安が過ぎった。もしや銀月もこの人と会ったのだろうか それはやばすぎる。この人に勝てる自信が全く無い 優るといえば唯一どれほど銀月を思うかぐらいだろう 深い紫色の、女性には珍しい短い髪が揺れた 照葉が口を開いた 「物をこちらへ」 「はい」 零隆が丁寧に包みを両手で持ち取次ぎの女官に渡す 女官から渡された包みを開け、中の物を見ると 照葉は満足そうな笑みを漏らした 「頼んでいた物そのものです。ありがとう」 「いえ、また何かありましたら是非我が商家へ」 「ああそうしよう」 その笑顔がまたとても綺麗で千莉は もしかしたら恋敵になるかもしれない、なんていう 心配を忘れて見入ってしまった (こんなに綺麗な人がいるんだ・・・) 雪花もなかなか美しい人だと思っていたが 女性でこんなに綺麗な人がいるとは思わなかった 天に愛された、というべきなのだろうか 自分は愛されてそこらへんの鳩が関の山だろう 「それではいつものように、後は好きにしてくれ」 「ありがとうございます。それでは失礼いたします」 照葉はそれだけ言うと部屋を出て行った 零隆は千莉を促して立ち上がらせた そしてその部屋を出て行く 誰もいなくなった所で千莉は零隆に聞いた 「あの、後は好きにしろってどういう事ですか?」 「毎回王城に上がった時は女官相手に服や飾りや本を売るんだ  だから自由に後宮にも出入りできる」 「あ、なるほど」 「それが終わるのはだいたい昼過ぎだ  あそこの鐘が昼を過ぎると鳴る。そうしたら門にこい  勿論今の服装に着替えてな」 「はい!わかりました。それでは失礼しますっ」 千莉は零隆から離れ、厠に入ると手早く服を女官服に着替える 銀月は多分王に呼ばれたのだから王宮にいるに違いない どこかは全く見当もつかなかったが、ひとまず歩いて回る事にした 「やっぱり王城だけあって豪華だわぁ・・・」 屋根から小さな置物の何から何まで凝っている 細かい芸が施され歴史を感じさせる 朱色に染められた柱がずっと廊下には均等に並べられ 桃や桜、梅などの花が庭には一面に咲き誇っていた 朝は寒いが昼間はやはり温かい (ここに銀月がいる・・・) どくんと心臓が鳴った。見つけたらまずは殴ってやる そう誓って千莉は歩き出した            *** 銀月は風に舞う桜の花びらを見ながら 縁側でぼんやりと茶を飲んでいた ぽかぽかした陽射しはまさかここが今にも侵略の危機に 瀕している国だとは思えないのどかさがある こまめに女官もやってきては世話を焼いてくれるので 何一つ不自由は無い しかし、寂しかった (千莉・・・) 隣で一緒にいるのが彼女なら文句なしなのに 彼女の作る団子やお饅頭は全て美味しかった 最初は料理なんて出来なかったのに いつの間にかその腕がぐんぐん上がってびっくりしたものだ そういえば銀月が通わせた寺小屋でもかなり優秀だった 礼儀作法も何処で覚えたのか何一つ落ち度のない物で 銀月は不思議がったものだ (千莉は習わせるとすぐに出来るようになっていったからなー  僕もすごく自慢だったし) まさかそれが自分の嫁になるための修行だとは 露にも思わなかったが 「・・・・はぁ・・・!!!」 その時突然殺気を感じ銀月は立ち上がると後ろに飛びのいた 間一髪で大きな太刀が さっきまで銀月の座っていた縁側に刺さった その太刀の先を追うとあの氾がにやりと笑う 銀月は見た事のない男に眉をひそめたが次の攻撃も軽々と避けた 「ふん、少しはやるんだな」 「!・・・・いきなり襲い掛かってきて  しかも人のくつろぎの時間を邪魔するとは感心しませんね」 「茶を邪魔してすまないな。だが、お前が銀月とかいう刺客だな!」 「・・・・」 あれ、何で自分刺客のはずなのにこんなに公認なんだろう 普通は身を隠しておくはずでは? 銀月はへら、と笑って首を傾げた 「な、何の事ですか?僕は照葉様に呼ばれてやってきた遊説家ですよ」 「な・・・!照葉殿に呼ばれた!?何て羨ましい奴だ!  ふ、ふんっ!照葉殿は誰にだって優しいんだ!  勿論俺にも優しかったぞ!」 突然襲い掛かってきた男はよくわからないが 顔を赤く染めてそう言った 銀月はそこでやっとその男の正体がわかった (荀から逃亡してきた氾将軍・・・・というやつか) それがどういう経緯で己を襲ってきたのかわからないが とにかく無駄な体力は使いたくなかった ただでさえ千莉がいないせいで心のライフポイントはもう0なのだ 「そんな事はどうでもいいんです。とにかく勘違いですよ  確かに私は銀月と申しますが・・・」 「やはりそうかぁっ!我が目に狂いはなし!  女官の女の子にきゃぁきゃぁ騒がれて全く羨ましい奴よ!  俺はなぁ、そういう顔が良い男が嫌いなんだー!」 「は・・・?何ですかその超個人的理由!」 「うるさい!好きな女の子は皆顔がいい奴にばっかり  とられたんだー!!ふん、何が  “私ちょっと猿には興味が・・・”だぁっ!!  誰が猿だ!もっと格好いいものを例えにしてくれたって  いいじゃないか!くっ!  だが、そんな俺にも漸く照葉殿という女神が  降臨したんだ!!それなのにそれなのにーっ!」 「わっ」 人の話も最後まで聞かないで氾は再び剣を振り上げた 銀月はこれ以上与えられた屋敷を壊しては さすがに申し訳ないと庭に降りる またもやスカった氾は悔しそうに歯軋りした 「3度も俺の攻撃から逃れるとは・・・!俺は少し  お前の事を見くびっていたようだ!」 「いえ、だから僕はただの遊説家・・・」 「その洗練された動きがただの遊説家など笑える!  お前の先ほどからの視線の配り方、武術に  秀でている者特有の物だ!」 「・・・・・・・」 「俺と木刀で勝負しろ!真剣でやって照葉殿の美しい庭を  汚したくないからなっ」 明らか頭が弱そうな男だと思ったが、それだけではないらしい 荀でもかなり強いと恐れられていたというのは本当のようだ この氾という男、本気でやればなかなかの腕だろう (嘘はつきとおせないか・・・) 銀月は溜息をついて氾から投げ渡された木刀を受け取った そしてそれは一瞬だった 氾が振り下ろしてきた木刀を受け止め弾き飛ばすと さっとわき腹を狙って木刀を入れる 「ぐ・・・・っ」 「言ったでしょう、僕はただの遊説家ですよ」 「今のはまぐれだ!手加減してやったんだっ!!」 「ああそうですか。では気が済むまでどうぞ」 氾は弾き飛ばされた木刀を拾い上げると さっきとは比べ物にならない速さで攻撃してくる 銀月はそれもまたさっと交わし木刀を振り上げた               *** 「ひ・・・広すぎる・・・っ」 その頃千莉は自分が今どこにいるのかも見失って ぐったりとその場で手を床についていた どこもかしこも同じような景色で 同じ場所をぐるぐる回っているのかそれともちゃんと進んでいるのか それすらもわからなかった。本当の迷子は 自分が迷子になっているかどうかすらわからない物だ しかもこれだけ広いのに女官の姿がなかなか見つからない 「あ、そうか・・・零隆様が今女官相手に売ってるから・・・」 だからこんなに人気がいないのだろう あの女官の様子だと物を買いに行く目的以上に 零隆に接近する目的の女官が多そうだ (でもそうなると・・・) 見つかる心配は無いが、道を聞く相手もいない その時ふと背後に人の気配を感じ慌てて立ち上がって振り返った そしてそこにいる人物を見て言葉を見失う 「どうしたのです、体調が悪いのですか」 「しょ・・・・・照葉様!!!!」 先ほど遠くから見たあの女王がそこに立っているのを見て 千莉は飛びのいた 遠くとはいえ顔を見せたのだ。もしかしたら 気づかれてしまうかもしれない そうなれば何故女官服を着ているのかと問い詰められるに決まっている 言葉を失っていると照葉が近づいてきて千莉の頬に手をあてた 「熱はなさそうですね」 「あああ、あの、大丈夫です!  ちょっと迷子になってしまっただけで!」 言ってからしまったっ、と思った 女官が迷子になるとはどういう事だ 益々あやしいではないか しかし照葉は苦笑しただけだった 「あなた新しい子ね。確かに見かけない子だもの  慣れないとここのお城は広いから迷う子が多いの  いいわよ、どこに行きたい?案内してあげるわ」 「そんなっ!わざわざ照葉様にそんな事!」 「遠慮しなくていいわよ。公務は今ちょっとお休みなだもの」 笑って、さ、と促す照葉に千莉は感動して泣きたくなった なんていい人なんだろう・・・! 美しいのは顔だけではないのか、まるで女神のようだ 仏様かもしれない。迷子で精神的に不安だった千莉の中で 一気に照葉の株はアップした 千莉は思い切って名前を出してみる事にした 「あ、あの・・・銀月・・・様という方に  用事がありまして・・・」 「銀月?」 「は、はいっ」 「・・・・・・」 照葉が一瞬無言になった 銀月、がいないのだろうか いやそんな筈はない。彼がいるとしたらここしかないのだから 照葉は少し考え深げにつぶやいた   「銀月殿に何の用が?」 「あ・・・えっと、その」 「見たところ何も持っていないようだけれど」 「・・・・・ち、筑を弾いてほしいと言われまして!」 「筑?」 「はい!目をかけて頂いたんです!」 ぱっと浮かんできた事を言うと照葉は そう、とだけ言って踵を返した 千莉は内心汗だらだらである 「こっちよ。少し銀月殿の屋敷は離れているけれど」 「あ、ありがとうございます!」 (銀月はいる・・・・!) 心臓が高鳴った。やっと会えるのだ 後ろを歩いていると照葉が振り替えた 「貴女筑がうまいの?」 「え、ええ・・・多分。一応特技の1つです」 「何歳頃から?」 「4歳を過ぎてすぐだったと思います  筑ってとっても大きい楽器だから  なかなか指が届かなくて苦労しました」 「・・・そう」 照葉の横顔が何故か一瞬寂しげに揺れた しばらく歩くと照葉は指差した 「あとはそこの角を曲がるの。いつか私もあなたの筑が聞きたいわ」 「喜んで!あの、ここまでありがとうございましたっ」 「気にしないで。お勤めご苦労様。それじゃぁね」 「はいっ」 照葉が去っていくのを見送って千莉は走り出した 言われたとおりの場所に行くと確かに大きな館がある 「銀月!」 力いっぱいに叫んだ            *** もう何度目かわからない打ち合いにそろそろ飽きてきた頃 突然自分を呼ぶ声がした (千莉・・・・!?) いる訳ないと思いながら体は10年近く聞いたその声に敏感に反応した 銀月は氾の木刀を飛ばすと自分のを握らせて 氾と反対側に行って倒れる 銀月の突然の行動に氾は太い眉の片方をぴくりとあげた 「な・・・何してるんだ、お前」 「いいですか!それ持って襲ってるようにして下さい!」 「は?」 氾の弾き飛ばされた木刀が、まるで自分の物であるかのような構図にし そう氾に指図すると、いかにもか弱いポーズで倒れる さっきまで容赦なく人を吹っ飛ばしていた人間とは思えない 豹変ぶりに氾はどうすればいいのかわからないまま固まった (何だ・・・この男・・・) その時茂みががさがさと揺れた 「銀月!!・・・って何してんですかーーー!あんたっ!」 銀月は目を見張った 出てきたのはここにいるはずのない少女 「・・・千莉・・・・?」 「あああ、大丈夫!?銀月!」 千莉は慌てて銀月に駆け寄っていくと怪我がないか調べた 勿論怪我などあるはずのない 何故かこの状況だけ見れば勝っている氾の方が傷だらけである 銀月は意味がわからないまま千莉を見ていると 千莉は憤然と立ち上がり氾の手から木刀を奪った 「銀月になんて事するんですか!?あのですね、  銀月は剣とか武術はからっきしなんです!!  それをあなた弱い者苛めみたいに・・・!!  いい大人が恥ずかしくないんですか!?」 「弱い者苛め・・・・」 苛められていたのはむしろ俺、という反論もできないまま 千莉は怒って氾に正座でその場で座るよう説教する 氾は必死に突然現れた少女の誤解を解こうとした 「言っておくが!別に俺は弱い者苛めをしていたのではない!」 「じゃぁこの状況をどう説明する気なんですか!?  あなた見るからに強そうじゃないですかっ!それに  比べて見て下さいよこの人!明らか優男でしょう!  腕だってこんなに細いし、腰もかなり細いんですよ!?  剣だって持ったらふらついちゃうような人に木刀だからって  剣を挑んでそれで弱い者苛めじゃないって言うですか!?」 嘘だ・・・っ!それはどこの誰の話だ! 氾は初めて世の中の不条理さに憤った あの男が優男?それは見た目だけだろう!! だが氾の言葉を塞いだのは紛れもなく銀月その人だった 「千莉、もういいよ。僕が弱いのがいけないんだ」 お前も何抜かしてるんだーーー!! 氾は口をぱくぱくさせた。千莉は口を曲げた 「そんな銀月!」 「お相手が務まらなくてすみませんでした、氾将軍」 「・・・いや、お前・・・」 「僕、弱くって」 「・・・・・・」 有無を言わさない力があった 氾は何か釈然としないまま、だがこれ以上何か言ったら いけないのだけはしっかりと理解して大人しく引き下がっていった 残された銀月は溜息をついた そして腰に手をあて氾が去っていった後を見る千莉を振り返らせる 「・・・・本当に、千莉なんだよね」 「・・・・・・」 「いいやこの際幻でも。それで、何でこんな所にいるのかな  僕の事は忘れて暮らせって言ったよね」 「・・・・嫌だよ」 千莉は唇をとがらせた 本当は会って一発目にパンチを食らわせるつもりだったが 思わぬアクシデントがあったためそのチャンスを見事に失った 千莉は手を握り締め銀月を真っ向から見た 「もう、置いてかないで」 銀月が息を呑む 「私は銀月のいない所じゃ生きられないよ  銀月がいないのは、嫌だもん・・・」 「・・・あれ、僕なんか凄い都合のいい幻を見てるのかな・・・」 「幻なんかじゃない!追いかけてきたんだよっ!  馬鹿馬鹿、銀月の馬鹿やろーーーうっ!   私を一人置いて行こうなんて100年早いんだからっ!」 会えた感動やら混乱やらで涙が出てきた こんなに自分は必死なのに当の本人はまだ幻とか言ってるのも悔しい 千莉はそのまま銀月に抱きついた そのあまりの強さに銀月が少しよろめく ようやく幻でない事を銀月も理解した ・・・だがそれでは益々わからない 「千莉・・・い、痛いんだけれど・・・」 「知らない!私がねぇ、どれだけ置いてかれて  寂しい思いをしたかわかってるの!?  お金まで奪って追いかけてこれないようにして・・・っ」 「そうだよ、君どうしてここまで来れたんだい?」 「売っぱらってきた!銀月のためにとっておこうとか思ってたけれど  まずは会う事が先決だって、あの馬鹿殿に売って  ここまで親切な弟君に連れてやってきたんだよっ!」 特定の名前やら何やらは全て省いて言ったため 少し文章がおかしくなっている 銀月はぎょっとした 「え、何売ったの」 「あ・・・・・っと、」 「千莉」 「えーと、服?」 「服ひとつでここまで来るお金出してくれたの・・・?  誰そのお金持ち」 「ぎぎぎぎ銀月は知らなくていいのっ!」 危ない、つい「何って、体?」と答えそうになった そんな事言おうものなら銀月に幻滅されそうなので 嘘を言ってしまったが、それはさらに怪しい 千莉はこの話題からは離れようと必死になった 「わ、すごく綺麗な家だね!いいなっ  ちょっと縁側が剣で切れたような面白い形してるけど!  きっとこれが風流なんだよね!」 だが彼女に話題転換の才能は残念な事に0だった しかも妙に間違えた事を言っているのも 更に怪しさ倍増だ。銀月がじっと千莉を見た 「千莉・・・僕に隠し事?」 「うっ、い、いいじゃない!銀月だって私置いてって  こんな所で何のんびりしてるのよっ!」 「・・・いやまぁ、色々あって・・・」 「あの時、私が何も言えなかったから置いてかれたのかと思ってっ  私がもっとちゃんとしっかりしてたら・・・って、ずっとっ」 血溜まりにいた銀月に大丈夫だよ、と言えたら 抱きしめられた時しっかり抱きしめ返していたら それを、どれだけ後悔した事か ぼろぼろとまた泣き出してしまった千莉の背中を 銀月は優しく撫でて抱きしめる 「・・・本当に君は、僕がいないと駄目だね」 「わかってるなら、置いてかないでよ・・・っ」 「うん、ごめんね。まさかここまで思ってくれてるとは思わなくって」 「・・・大好きだもん・・・」 「ありがとう、千莉」 よしよしと小さい子をあやすように撫でる 千莉は安心しきったのか涙が止まらなかった 馴染んだ銀月の優しい香りでいっぱいになって 胸がぎゅっと握りつぶされるような感覚に陥る ああ、ようやく帰ってきたんだ あとは連れて帰って、また幸せな日々を過ごすだけ そう信じて疑わなかった。のに、 桜の花が風に揺られてはらはらと頭上に舞って来た 銀月は体を離して千莉の頭に落ちてきた花びらをとってやる そしてその額に唇をおとした 「でも、もう来ちゃ駄目だよ」 残酷な一言だった。何故、一緒に帰ろう。じゃないのだろう 「帰りなさい。ここは危ない」 「・・・・・・・」 銀月が一歩離れた 千莉は目をいっぱいに見開く 一緒にいる為にここまで来たのに どうして、 「・・・銀月は、私が・・・嫌い?」 「大好きだよ。心から」 「私は銀月の為なら命だって惜しくないよ・・・?  私、銀月とずっと一緒に生きていくんだって思っててっ  銀月がいてくれなくちゃ、息だって出来ないほどなのに!  ・・・それなのに、放り出すの・・・・?」 「千莉」 「銀月がいなくなったら・・・私寂しすぎて死んじゃうよ」 いつも優しく迎えてくれる声がなくなったら 笑顔がなくなったら、ちょっと困ったように 仕方ない子だね、って笑ってくれる人がいなくなったら きっと、孤独に耐え切れず呼吸だって出来なくなってしまうのに    銀月はまた一歩後ろに下がる その時零隆の言っていた鐘の音がけたたましく鳴った 「・・・・っ!」 千莉は顔をあげた。 “あそこの鐘が昼を過ぎると鳴る。そうしたら門にこい” きっと行かなかったら零隆は心配する 千莉は唇をかみ締め、一気に銀月との距離を縮めた そして無理やりその頬を両手で掴んで引き寄せ 唇を重ねる 銀月が驚いて目を見張った 「っ!」 千莉はばっと離れてがむしゃらに逃げた 女官服を着替える事も忘れて走った どうして一緒に帰ろうと行ってくれないのだろう どうして帰れなんて言うんだろう どれだけ必要としているのか全然わかってない どん、と何かにぶつかる 慌てて顔をあげると零隆がいた 見知った顔に涙腺がじわりと緩む 「どうしたんだ・・・・?」 「・・・・・っう」 「泣いてるのか?・・・探している男に会えなかったのか?」 「零隆さまぁ」 「!?」 千莉は思いっきり抱きついて泣いた わぁわぁみっともなく声をあげた 零隆は戸惑ったように手を彷徨わせたが なんとか泣き止ませようと背中をぎこちなく撫でる あまり人目につかない建物の影に連れて行って 千莉が泣き止むまでそのままでいてくれた 落ち着いた頃になって千莉は段々哀しい、ではなく 腹が立ってきて零隆に愚痴を漏らしてた 「あのですねぇ、私が思うにあの人私を逃したら  もう絶対婚期逃すと思うんですよう  全く馬鹿ですよ、馬鹿!馬鹿以外の何でもありませんって  馬鹿馬鹿、阿呆!はー、こんな若い子が  あんなに好きだ!って言ってるのに帰れ、って言うんですよ!?  ああもう、本当に腹立つ。でも好きだー」 「・・・・わかったわかった。とにかく着替えろ  あとは屋敷で聞いてやる」 「もう本当に零隆様大好きです。絶対いい子と結婚しますよー  あの馬鹿にも零隆様の爪の垢飲ませてやりたいです  あー腹立つー。でも好きなんですよー。そんな自分が悔しい」 「何言ってるのか自分でわかってないだろ。ほら、着替えろ」 真っ赤な目を指でぬぐい、千莉ははい、と頷いた ふらふらとまた厠で着替え出てくると 零隆はそのまま背中を押して誘導してくれた 帰り道もずっと千莉の愚痴に突き合わされ ほとほと困っている零隆があちこちで目撃されたのであった |小説目次|拍手|| (C)2008 Season Quartetto akikonomi
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