めぐりめぐって春がくる

翌朝、千莉は銀月を見送りに桃水(とうすい)まで来た そこにはごく少数の人間しかいない 千莉は一度家に帰って持ってきた筑を出した それを愛しそうに撫でる 「・・・初めて、銀月がくれたものだったね」 「君が初めて欲しがったものだったから」 「だって、銀月が弾いてるのを見てたら羨ましくなったんだもん」 千莉は笑った。銀月の手には氾の首の入った木箱がある 少し離れて立つ少年の手には地図が握られていた 千莉は初めて銀月にならった曲を一曲奏でる 隣に座っていた銀月はぽつりと呟いた 「荀は遠い所だよ、そこまでは君は追いかけてきちゃ駄目だからね」 「・・・・わからない、寂しくて行っちゃうかも」 「はは、駄目だよ?・・ああ。風が、冷たいね  ・・・僕はもう二度とここに帰ってくる事はないのか」 「・・・・・・」 必死で千莉は笑顔を作ろうとした。笑っていようと決めたのだ 昨日、愛してくれた温もりをちゃんと覚えている だから、大丈夫。 千莉の筑の音が止むと銀月は立ち上がった そして無言のままの、少しやつれたように見える照葉の前に立つ 彼女も昨日散々悩んだはずだ。自分に全てを預ける事に そして漸く己が急かせた事の重大さを気づいてるのかもしれない 「それでは、行って参ります」 正式な礼をとって頭を下げた銀月に照葉は頷いた そして銀月はあの少年に合図をして 桃水にかかる大きな橋を渡り始めた 千莉はがたりと立ち上がり筑を脇に置いた (やっぱり、駄目・・・っ) これでさようならなんて酷すぎる きっと彼がいなくなったら自分は寂しすぎて死んでしまうのに 「銀月・・・・っ」 気が付いたら駆けていた だが銀月は振り返らない 夢と同じようにどんどん背中は小さくなっていく 橋のすぐそこまで来た時不意に千莉の腕がつかまれた 夢でもそうだったように。 あれは、銀月が握り返してくれるのだと思っていた けれど本当は、自分をここに繋ぎとめるための鎖だったのか 「千莉、駄目だ」 「・・・っ零隆様・・・っ」 「あの人が自分で決めて行くんだろう  それを邪魔してはいけない」 「でも、でも私、」 ふっと橋の向こうを見るとすでに銀月達の影は 朝もやの向こうに消えてしまっていた 瞬間暗い闇が心にずしりと覆い被さる 置いてかれる、不安 もう会えないという、恐怖 「銀月っ!!っ・・・銀月っ!」 最後まで名前を呼びつづけた もう見えなくなってしまった白い靄の向こう側にむかって            *** 数週間かけてたどり着いた荀で 銀月は荀の王への取次ぎを願い出た “懸賞金のかかっている氾の首と媛の都の地図を持って参りました” 媛が大人しく従う意思を見せたようなそれに 滅多な事では出てこないという荀の王が拝謁を許可した 銀月の思惑通りだった 銀月は氾の首を、秦陽は都の地図を持って ゆっくりと荀の王まで近寄っていく まだ若いその王の名前は政翠(せいすい)と言った 秦陽は緊張でがたがた震えた 一人の側近が眉をひそめる 「そこの者、何故そのように挙動不審なのだ」 秦陽はびくりと肩を震わせた 銀月は内心舌打ちしながら取り繕って笑う 「野蛮な田舎者故このように震えているのです  どうぞお咎めなさらないで使者としての使命を  果たさせてやってください」 銀月は秦陽の背中を押した 秦陽の持つ地図の中にはあの猛毒の塗られた短剣が入っている 今下手に警戒されてはいけないのだ 少しのミスが失敗へと繋がってしまう こういう時昔からの相棒だったら何も心配はいらないのだが、 (まぁ今となっては遅い後悔か) 銀月はまず首を置いて中身を見せた 政翠はそれを認め、次に地図を要求する 秦陽が震えながらその地図を手渡した するすると帯びが解かれ開いた瞬間だった 出てきた短剣を銀月は奪い政翠を狙う 「っ!」 「荀王、政翠!覚悟っ」 間一髪の所で政翠はその一撃を避けた そもそもこの王宮に上がる時武器の類は全てとられてしまった だから銀月にはこの短剣しかなかった 一方の荀側も、政翠が御殿に臣下にすら剣の類を 持つ事を許していなかったため誰も応戦できない しばらく銀月の攻撃を政翠が避け続けるだけの状態が続いた (・・・・っ、少しでも掠れば・・・!) 秦陽は固まってしまって全く使いものにならない 政翠は一歩退いて己の刀を抜いた それの一撃は短剣では受け止めきれず、銀月の足に 深い刻みをいれた 動く事が出来ず柱を背にずるずるとその場に座り込む だが銀月は諦めなかった 持っていた短剣を掴むと朦朧とする意識の中 政翠に投げつけた 「・・・・!!」 それは政翠の袖の衣を断ち切っただけで本人には当らなかった 動けなくなった刺客を目の前に政翠の目がすっと細められる 銀月は諦めて笑った 「生かしておいて、その口から照葉様に  詫びを入れさせようと思ったんですけれど・・・  それが駄目でしたね。ちゃんと殺せばよかった」 「・・・・馬鹿な事を」 「ええ、本当に馬鹿な事をしました」 何故かそれが自分を殺しに来た事を 言っているようには聞こえなかった 「・・・照葉か」 政翠はぽつりと呟き己の剣を銀月の首筋にあてる 綺麗な顔した男は最後まで笑っていた そして何かぽつりと呟く 瞬間剣が華麗に弧を描きその首を確かに刎ねた 周りには聞こえなかったが政翠にはその呟きが確かに聞こえた ― じゃぁね、千莉 ― 誰の名前だろうか この男にも愛しく思う人間がいたのだろうか ならばこの男は馬鹿だ 刺客などと愚かな事をしないでその愛しい女と 共にずっと生きればよかったのだ 政翠は顔をあげ、剣についた血をなぎ払う 「媛はわが国に逆らうというという意思表示をした!  媛に軍を進め、王の照葉の首を取って来るよう全軍に伝えろっ」 臣下はその場に跪くとすぐに各々の仕事へと向かった 誰も銀月の死体を振り返ることは無かった ― その年の春、媛は荀によって侵略され   女王である照葉の首は体を失ったまま   政翠の元に届けられた 最も不利な状況においても忠義の心を失わず 刺客として死んで見せた銀月は 以後時代を超えて語り継がれるようになる そして政翠は大陸全ての国を侵略し、初の帝国を築き上げるのであった 政翠は転がる銀月の首を見た 死体になっても笑っているなんて、変な男だ いい夢でもいているのだろうかあの世で そうたとえば、愛する女の夢でも 「・・・羨ましい」 政翠はぽつりと呟くと近くで立っていた臣下に それを片付けるように命令し踵を返した 彼の前には仰々しく作られた玉座が待っていた   ・   ・   ・   ・ 『ねぇ、千莉』 『・・・・・ん?』 『来年の春も、再来年の春も、これからずーっと  一緒にこうやって桜見ながら  お団子食べれるといいね』 花びらがひとつ、風に舞った 【 第一部完 】 ||小説目次|拍手第二部|
ここまで読んで下さってありがとうございました このお話を書き始めたのが、史記にある「刺客荊軻」という お話を読んだ事からでした もう楽しくって楽しくって調べてみたら これ、設定を変えてやったら楽しそうだな と思って始めた事でした 銀月は荊軻、千莉は高漸離、照葉は丹、氾は樊於期 政翠は始皇帝と呼ばれた政、秦陽は秦武陽、などなど 実際に刺客荊軻に出てくる人物をモチーフにしています 性別とか変えたりしてますけれど・・・ 逆に煉笙や零隆は完全オリジナルです 書く前から最後に荊軻が死に高漸離が残される、というのは わかって書いていたのですがいざ書いていると あそこら辺はもう自分がボロボロ泣いていました いやでも、一応骨は「刺客荊軻」だからそれに忠実に やろうという事でああいう事になってしまったのですが・・・ 基本的に切ないのは私の許容範囲外なんだなーとしみじみ。 因みに話が切なくて泣いているというか 愛しすぎて愛しすぎて泣いていた部分もあるので話とは一切関係ありません(笑) えっと第一部です。という事は第二部あります(あるのか) このまま主人公は千莉のまま次は荀が舞台となります こちらで最後なので「このまま読んでやるよー仕方ねえ」 という心優しい方は是非よろしくお願いいたします また更新するまで少し時間空くかもしれませんが・・・ 興味がある方は是非「刺客荊軻」の元の話の方も 読んでみてください。絶対に面白いです・・・! 千莉ポジションの高漸離は男だけれどね!(大問題) それでは失礼いたしました 感想などいただけると嬉しいです (C)2008 Season Quartetto akikonomi
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